設立趣意

 直木三十五は大衆文学の登竜門として多くの人々に認知されている「直木賞」に不滅の名を残す作家です。

 

 大阪市南区(現在は中央区)安堂寺町ニ丁目に古物商の長男として生まれ 地元の桃園小、育英高等小学校、旧制市岡中学を経て早稲田大学に進み その後、翻訳本の出版や映画制作、文芸雑誌の編集等をしつつ、三十一歳の頃から本格的に執筆活動を始めました。

 

 そして代表作「南国太平記」で一躍時代の寵児となり、大衆文学という分野で確たる地位を築きましたが わずか四十三歳で夭逝しました その翌年に友人でもある菊池寛の呼びかけで「直木賞」が設けられ今日に至っております しかしながら、現在ではその作品が読まれることは稀になり、>直木三十五を知る人もそれほどに多いとはいえません 功績を称えた文学賞である直木賞は知らぬ者がないほどに有名であるにもかかわらず 直木三十五はあまりにも無名であり ここ大阪でも生家近くの榎大明神(榎の大樹で地域の土地神様)の側に文学碑を残すのみです。

 

 そこで私達は直木三十五にゆかりの深い空堀界隈の、直木三十五も通った桃園小学校跡地横に「直木三十五記念館」の設立を思い立ちました この場所で直木三十五の業績を紹介することにより、地元に直木三十五という才能あふれた作家がいたことを再認識することはもとより 直木三十五を通じて、様々な文化や情報を発信可能な拠点として活用できるのではないかと思います。

 

 また記念館は直木三十五の人となりを反映できるような、人をひきつけてやまない魅力と、幅広い興味や好奇心を喚起できるものにし 地域からも親しまれる記念館として空堀のまちづくりを担う施設計画を進めて行きたいと考えています。

 

 直木三十五の没後七十年の祥月命日にあたります本日、記念館設立準備委員会を立ち上げ、その一歩を踏み出しました 少しでも多くの方々のご賛同とご支援をいただきまして、活動の輪を大きくして広く世の中にこの運動を知っていただき 「直木三十五記念館」の設立が実現しますようご協力をよろしくお願いいたします。

 

平成16年2月24日


直木三十五記念館設立準備委員会

呼びかけ人

難波利三(直木賞受賞作家)・藤本義一(直木賞受賞作家)・眉村 卓(作家)・団 鬼六(作家)・秋田光彦(大蓮寺住職/應典院主幹)・河内厚郎(関西文学編集長) 豊竹英大夫(文楽大夫)・松井 治(桃園小学校同窓会長)・八木ひろし(元大阪府議会議長)・北川 央(大阪城天守閣主任学芸員)・正岡 明(正岡子規研究所主宰)

 

直木三十五記念館設立準備委員会

福山琢磨(新風書房)・桧山邦祐(著述業)・藤田富美恵 (童話作家・空堀在住)・二村善明、二村知子(隆祥館書店) 藤井薫(大阪府教育委員会事務局)・大阪まちプロデュース・上町台地からまちを考える会・まちづくり工房 からほり倶楽部(六波羅真建築研究室・株式会社応用社会心理学研究所・山根エンタープライズ株式会社・有限会社CASE/まちづくり研究所・ノースフォーティー・ニエダ設計)

 

活かされる資源/六波羅雅一

「科学と文化と自然」

明治維新以後、諸外国からの侵略による危機感に伴い必死で諸外国の文化や技術を取り入れてきた。また、先の大戦からは立派に経済の復旧や平和を約束してきた。その短期的なめざましい成長は日本を守り続けてきたが、日本文化や自然への記憶は置き去りにされてきた。一方、科学や技術の発展は著しく成長し頼ることとなっている。日本文化、たとえば、建築においては味のある木製のやわらかな建具から強固なアルミサッシへと変化してきた。その室内は密室であるがゆえ自然と共に暮らす事や、文化としての礼儀等が失われた。そして快適と思われた部屋で覚えてしまった便利さは忘れられなくなるのである。古代からの日本人は山や木そして石や水に宿る神、つまり、自然に対して恐れがあり守ってきた。そしてそれを、体験を通じて学習していたのかも知れない。自然という一面から見れば昔の建築はその学習を成果としてきたのだろう。日本建築の素材は、柱や梁などの”木”基礎等に使用されている”石”壁の”土”という様に自然素材であり、昔の大工さんの”手”による建築技術と合わせ、まさに生の文化である。そして、樹齢100年の木材を使用すれば100年間耐えうる建築を造るのが当然であった。100年耐えなければそこに100年の樹木は成長しないのである。つまり地球の生命体としての輪廻なのである。精神的に体にしみついたものとしての日本文化が資源として育ち、忘れかけていたものを未来に向けて残して行く事が、大切なのではないだろうか。

 

「からほり倶楽部(空掘商店街界隈長屋再生プロジェクト)」

大阪市中央区の大阪城の南側に空掘(商店街)というところがある。名前の通り大阪城の外堀付近であり、上町台地の西斜面にある。ここは都心にもかかわらず、先の大戦での戦災にもあわず、戦前の街並が残っている珍しいところである。石畳の露地が続き、木製の古い格子や蔵が斜面を巧みに利用しながら並び、人々の生活と上手くかみ合いながら存在する街である。だが、空掘をとりまく幹線道路沿いには高層のマンションが続々と建ち並び、歴史のある上町台地からの夕日は、すでに眺めることができなくなってしまった。露地に面した長屋は、現在の法のもとに新しく建て替えできないところや、所有者の複雑な問題によって空地になったり、放置されたままの状態のものも多い。ここに残っている崩れかかった長屋は、解体されることを待っているかのようにも見える。先の国勢調査の結果、大阪市中央区では調査史上初めて人口が増加した。これは空掘商店街周辺のマンションの増加に伴ったものであり、相互して空掘の長屋には年老いた人々が暮らしている。周辺の開発に取り残された住民たちの多くは、この街のことを「古い街」とか「汚い街」として意識しているのである。かたや、街の外側から今の目で見れば、「美しい」、「懐かしい」、「安らぐ」、「癒される」といった具合に意識されるのである。そんな変化の中、この魅力的な街そしてその資源を愛するメンバーが集まり、2001年に「からほり倶楽部」が設立された。空掘の美しい街並みや長屋をあらためて意識し、この街の長屋の保存、再生そして、活性化ならびに新旧の共生を目的にした活動を続けている。

 

「からほり・まちアート」

この町には、石畳、露地、長屋、坂道といった情緒ある資源が残っている。そのさまざまな場所で何十人ものアーティストがまちの資源を意識しアートを表現するのである。石畳の上に造型物を展示したり、長屋の大きい壁に展示したりする。そしてそれは、空掘の町並に興味にある人たちや、アートを通してまちを観る人、そしてこんな汚い町と思っていた人たちがアートを観て、あるいは人々を観て、自分たちの町の資源をあらためて意識してくれれば・・・ こんな想いで「からほり・まちアート」は始まった。もし、町の人たちの意識が変わればどうなるだろう。町並のことや露地をも自分たちで守るもの、そして創るもの、公共的な要素を含む部分も自分たちのものとして感じてもらう。大阪人の自立心は、日本の土地問題や、古いものを守っていくということ、そして、それは人の自然へ対する記憶を思い出すことになるのかも知れない。 DATA---第三回からほり・まちアートは2003年10月25日・26日に空掘商店街界隈にて開催されました。91組のアーティストと落語会等の15の併催イベントを約60人のボランティアスタッフで運営し、両日で約12000人の来場者を迎え第1回第2回に引き続き大好評で終了しました。

 

 

「惣と練」

当初から、からほり倶楽部では減少傾向にある長屋をどう保存再生するかが最大の問題であった。長屋を使用し続ける事により建物やその環境という資源を守れるのではないだろうか。そして我々の活動を地元の方々がまちの事として意識して頂く事により方向性が決められるのではないだろうか。すでに我々は「長屋再生複合ショップ -惣so-」と「御屋敷再生複合ショップ-練len-」をサブリース方式で運営している。いづれも大正以前のかなり古い建物であったが、ただただ建物を残せという保存運動ではなく、地主の方の負担を少なくした運営方法を企画提案することにより建物を生かすものである。 企画はそれぞれの建物をいくつかに区分し、複合ショップとして利用しようというものである。商店街の人々を引き込む為の集合体の力強さを利用し、店鋪内の内装は店鋪であるがゆえ各テナントが行うのである。よって、建築費は各テナント内を除く部分となり、外部、共用部と基本的な設備となるのである。事業は「からほり倶楽部」が一旦買り上げ、基本計画、収支、入居募集、運営管理まで行うものである。空堀商店街界隈の資源はマスコミ等を通じ魅力的に紹介されており、空掘で出店したい或いは、アトリエを持ちたい、といった方々から多数の問合せをいただいた。テナント募集は、その方々やホームページでの告知、或いは、大阪商工会議所等を通じて行われ、早々に入居申込みを受けるという結果となった。大阪は、秀吉の頃から江戸時代まで日本の流通の中心であり、町人が町を造ってきた。自治的町政として『惣』があり、実質市政を行っていた。昔の大阪人の独立心にあやかり『惣』がここに誕生し、『練』にも受け継がれていくのである。

 

 

「複合文化施設-萌hou-そして直木三十五記念館」

 

からほり倶楽部の目的のひとつである活性化という方向から観れば、まちは少し成長したのかも知れない。空堀には商店を初めとして事務所、アトリエそして住居等が混在している。又、それが魅力ある資源のひとつでもある。『惣』や『練』は全て商業施設として何が表現できるかなのだが、我々はこのまちを商業地域に変えようとしているのではない。『惣』や『練』に引き続き3っ目のサブリース事業になりうる建物の相談があった時、我々は改めて思案した。はたして住民にとっては何が必要なのだろうか。「からほり・まちアート」では住民が新たにまちを見直して、まちも自分達の素敵な資源の一つと感じてもらえればという思いがあった。年に一度のイベントであるが確かな効果があった。その延長線上に、直木三十五という素晴らしい人が埋もれている事に気が付いた。直木はこの界隈で生まれ育ち作家活動も続けていた。彼は直木賞という後世に素晴らしい軌跡を残したが、彼自身の事はあまりにも記憶にないのである。直木三十五を知り、そしてそれが地元の方達の誇りとなり、その施設を中心とした複合文化施設が賛同人の方々とからほり倶楽部の熱い思いをもって完成するのは間直である。そして関わっていただく人達もまちにとって資源なのである。

 

 

さて、来る令和5年1月17日(水)に第170回直木賞の選考会が実施され即日受賞 作品が決定いたします。

御存知の通り直木三十五賞は昭和十年に菊池寛が前年に病死した親友直木三十五の名を後世に残すためにはじめた文学賞であります。以来戦争により途切れるも今回で170回を重ねる、まさに本邦でもっとも伝統ある文学賞のひとつであります。本賞の選考は文芸界・出版界では最大の関心事であり、候補者やその関係者はもとより、国民的にも誰のどの作品が受賞するかについては興味のつきないところであります。

そこでこの年2回のお祭り騒ぎに便乗して、第134回から引き続き当記念館では直木 三十五が生まれ育った地で、長屋や路地裏から市民の感覚で選考の結果をみまもりたいと 考えます。

 


第37回勝手に直木賞「長屋路地裏選考会」

■日時
令和5年1月17日(水)17時~ 受賞者決定まで

■会場
直木三十五記念館

大阪市中央区谷町6-5-26 複合文化施設「萌」2階

■参加者
直木三十五記念館友の会「直木倶楽部」会員と直木賞に興味を持つ市民

■参加費
直木三十五記念館友の会「直木倶楽部」会員/無料
一般/500円(入館料)

■内容
参加者それぞれの感想や受賞にいての予想を発表し、独自の受賞の予想を決定する。

 

■今年の候補作

加藤シゲアキ なれのはて 講談社

河﨑秋子 ともぐい 新潮社

嶋津輝 襷がけの二人 文藝春秋

万城目学 八月の御所グラウンド 文藝春秋

宮内悠介 ラウリ・クースクを探して 朝日新聞出版

村木嵐 まいまいつぶろ 幻冬舎


(第170す回直木賞について)

https://bungakushinko.or.jp/award/naoki/index.html

■お問い合わせ
直木三十五記念館 事務局


お問い合わせ先: 

電話: 06-7507-1463(受付:六波羅真建築研究室)

住所: 大阪市中央区谷町6丁目5ー26複合文化施設「萌」2階

 

運営

直木三十五記念館運営委員会

代表者(事務局長):小辻昌平